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火葬施設と赤十字標識 [1/700病院船氷川丸]

「氷川丸」の製作を再開します。

病院船「氷川丸」には貨客船時代にはない煙突があります。
資料本としている「氷川丸とその時代」の中に、「煙突後部機関士浴室のスカイライト(天井の明かり窓)を取り除き、油焚きの火葬場を設けた」とあるので、煙突後部の小さな煙突は、火葬施設からのものと思われます。
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(出典:映画「海軍病院船」)

映画「海軍病院船」の中には火葬施設そのものは写っていませんが、その周辺の映像はあります。
煙突後部左舷側で慰霊を行っている様子です。周囲を垂れ幕のようなもので囲っています。
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(出典:映画「海軍病院船」)

納骨堂のような施設があり、中には遺骨が納められています。
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(出典:映画「海軍病院船」)

輪袈裟をかけた下士官らしき人が読経しています。
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(出典:映画「海軍病院船」)


これらの情報を踏まえて工作に移ります。わからない部分が多いですが、そこは想像でこなすことにします。
プラ材で納骨堂と火葬施設を作りました。
納骨堂は白木の社(やしろ)のような感じにしました。火葬施設は外装は鋼板耐熱銀色ペンキ仕上げ、内部は耐火レンガ積み、ブロワーで負圧をかけ排気を煙突に送る構造ではないかと思います。
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火葬施設は「油焚き」ですが、そこまで燃料油の配管を仮設で引き廻すのは大変だろうと思ったので、200リットルドラム缶を置きました。あるいは仮設の燃料タンクがあったのかもしれません。
周囲を囲っていた垂れ幕は火葬施設と納骨堂全体を囲う範囲としました。なぜ囲っているのか理由はわかりません。乗船している傷病兵の目に触れないようにするためかもしれませんし、生者と死者の境界を表すためのものかもしれません。色もわからないので薄いブルーグレーとしました。
煙突は0.5mm真鍮線とプラ材等でスクラッチしました。
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ボートデッキ後部の赤十字標識はエッチングを使います。実際はもっとスリムな赤十字ですが、これしかないのでこれを使います。伸ばしランナーを使って中の支柱を追加しました。
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支柱は0.2mm真鍮線を主に使いました。普段はやらないのに何を思ったのかサーフェイサーを吹いてしまい、塗膜のせいで直径が0.3mmくらいになってしまいました。やらなきゃよかった…。
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作ったパーツを取り付けます。
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火葬施設周りのレイアウトは、こんな感じになりました。遺体は右舷側から搬入します。
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「氷川丸とその時代」の中で、1943(昭和18)年5月20日、横浜三菱造船所入渠の際、「六番船艙に屋根を張り、白色塗装のうえ、上部に赤十字を描く」とあります。
映画「海軍病院船」冒頭の空撮映像をよく確認すると、うっすらと赤十字らしき標識が確認できます。これを作ってみたいと思います。
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(出典:映画「海軍病院船」)

プラペーパーと0.3mmプラ角棒を使ってスクラッチしました。
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取り付けるとこんな感じです。
この仮設屋根からウインチプラットホームまでの間、舷側に向かって天幕が張ってあるのですが、それは後で工作します。
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九五式一型練習機を作った! [1/144九五式一型練習機]

「氷川丸」をちょっと中断して、正月モデリングで「九五式一型練習機」を作りました!
オレンジ色に塗られた機体から「赤とんぼ」の愛称で知られた飛行機です。

1/144 大日本帝国陸軍 九五式一型練習機乙型 熊谷陸軍飛行学校所属機
1/144 IJA Air Force Tachikawa Ki-9-otsu
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キットはF-toysのウイングキットコレクション vol.14です。以前九四式2号水偵を引き当てる過程で出てきました。食玩でガムが一粒入ってます。
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特に大きく手を加えず素組ですが、塗装のはみ出し部分やゲート部をタッチアップしたりパーツのすり合わせ等で、4日ほどかかりました。
エンジン部分は少ないパーツながら精密なモールドで作りごたえがあります。リペイントしてシルバーのドライブラシをかけました。
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入手当初はあまり興味が無く、しばらく放置していたのですが、中身を確認した際、熊谷陸軍飛行学校のデカールが入っていることに気付きました。
熊谷陸軍飛行学校は現在航空自衛隊熊谷基地となっていますが、桶川市にある分教場は現在もその一部が残されています。この存在をVANが知ったのは数年前、戦争遺構として保存しようという動きがある、という新聞記事でした。その後すっかり忘れていたのですが、このプラモが思い出させてくれました。
ということで昨年12月、桶川分教場に行ってきました。

熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場跡(埼玉県桶川市川田谷)
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建物の周りに柵が巡らせてあり、中に入ることができません。行ったのは12月12日だったのですが、建物倒壊の恐れがあるため、土地を管理している桶川市が12月2日より中への立ち入りを禁止したそうです。一足遅かった…。建物の外観は見学することができます。
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なるほど建物は朽ちかけており、いまにも倒壊しそうな状態です。
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滑走路は分教場跡の1.5kmほど南、荒川を挟んだ対岸にあります。現在はホンダエアポートの滑走路になっています。
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入り口にはボランティアのおじさん2人がいてコピー紙のパンフレットをもらいました。VAN以外にもちらほらと見学者がいました。荒川沿いのサイクリングロードの途中にあることから、サイクリングついでに立ち寄ったと思しき人も見かけました。きちんと整備して戦争遺構として残し、広報していけば観光資源にもなるのではないかと思います。ただ保存するにしてもお金のかかる話なので、市の動きは鈍いようです。こうしている間にも建物はどんどん朽ちていきますので、早期に結論を出さないと取り返しのつかないことになってしまいそうです。現在、日本各地に残る戦争遺跡を学術的に調査保存していこうという動きもあり、そうした見地からも貴重な遺構になりうると思うのですが。

リンク:
旧陸軍桶川飛行場を語り継ぐ会
「壕・砲台… 戦争遺跡に迫る考古学 実態把握へ調査進む」(朝日新聞デジタル)

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は、本年2月桶川市の有形文化財に指定され、5月26日より建物群を保存するための解体調査が行われています。調査は来年3月まで続くそうです。(2016/06/01追記)

明けましておめでとうございます [雑記]

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新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたいします。

平成二十八年 元旦
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